melo CLASSIC 「フーガの技法」【1944年録音】

melo CLASSIC の7月の新譜、バッハ/「フーガの技法」がようやく届いた。

f:id:anifmura:20160808085437j:plain

【melo CLASSIC MC5005】

7月25日に注文し、タイ Phayao の発送日付も25日になのに、約2週間かかっての到着であった。

送料は無料であったが、タイの「書留航空便」はずいぶんゆっくりしている。

封入されている解説書は英語であるが、表紙と裏表紙のカラヤンの写真ははじめて見るものである。

f:id:anifmura:20160808085944j:plain

f:id:anifmura:20160808090029j:plain

1944年12月14日の録音データは、いままで知られておらず、ザルツブルクの「カラヤン・インスティテュート」のデータバンクにも登録がない。

http://www.karajan.org/jart/prj3/karajan/main.jart

1986年にグラーツの出版社より刊行された、Hanns Kreczi著 "Das Bruckner-Stift St.Florian und das Linzer Reichs-Bruckner-Orchester 1942-1945" には、この録音について触れられており、1945年2月4日(日曜日)18時よりラジオ放送されたとある。

f:id:anifmura:20160808090916j:plain

また国内の出版物では、新日本フィルハーモニー交響楽団の2005年11月「演奏会プログラム」冊子に、ゲルハルト・ボッセ「わが音楽と人生③-まぼろしのリンツ帝国ブルックナー管弦楽団」にカラヤン指揮の「フーガの技法」が録音されたとの記述がある。

f:id:anifmura:20160808091329j:plain

この記事に掲載されている写真は、上記の Kreczi の書籍より転載されているものである。

クリアーな音質は全体で45分程で、トラック12の「未完のフーガ」は未完のまま演奏されていて唐突に終わる感がある。

ラジオ放送が本当にされたのであれば、録音された音源がベルリンへ運ばれたとも考えられ、この貴重な録音が保存されたと推測できる。

f:id:anifmura:20160808092329j:plain

ジャケットに使われた写真は、いつ撮られたものか判らないが、カラヤンの左手薬指には指輪がはめられており、大変珍しいものである。

戦中の貴重な音源の登場を心から喜びたい。

 

バッハ/「フーガの技法」・1944年録音

タイ王国パヤオに本拠地をおく "melo CLASSIC" の今月の新譜に、1944年12月14日リンツでスタジオ録音されたとする、帝国ブルックナー管弦楽団を指揮したバッハ/「フーガの技法」が予告されている。

f:id:anifmura:20160724075254j:plain

45分19秒、もちろん初出音源になる。

詳しいことは現在確認中です。

 

 

ウィーン直行便の廃止

オーストリア航空が成田~ウィーン(シュヴェヒャート空港)間を毎日運行している【OS51便(復路)/OS52便(往路)】が、この夏運行を終了する。

f:id:anifmura:20160602082547j:plain

9月4日(日曜日)のOS52便がラスト・フライトになる。運行を始めたのは1989年7月で、奇しくもカラヤンが亡くなったその日であり、28年間の運行に幕を下ろす事になる。

成田をお昼前に飛び立ち、時差の関係でウィーンに着くのは夕方で、ホテルにチェックインしたとしても、十分にその日の国立歌劇場の公演や楽友協会の演奏会に間に合うという、日本人にとってなじみの深い路線であった。

オーストリア航空では、この春からウィーン~上海便をデイリー運行していて、成田便を廃止する翌日からは、ウィーン~香港便を運行すると発表されていて、完全な中国市場へのシフト変更で日本市場は見放されてしまった形となった。

OS52便・OS51便は、これまで10回以上も利用してきただけに、大変残念な決定となった。深紅の客室乗務員の制服の色は印象的であり、復路のOS51便では食事の合間にキチンラーメンが出されることがあった。カップをあけて、前から順番にお湯を入れてもらうのだか、銀色ポットのお湯はそれほど熱くなく、後ろの方の座席までくる頃にはぬるま湯になってしまっていて、中途半端なカップラーメンとなってしまうのだが、客室がチキンラーメンの香りに包まれたのもたのしい想い出であった。

これからウィーンへ入るときは、全日空ミュンヘン便やルフトハンザのフランクフルト便から乗り継ぎが考えられる。

アニフ村が少しだけ遠くになったてしまった気がする。

 

 

 

 

ジョン・ハント 「ディスコグラフィ」第4版

イギリスのジョン・ハント氏の「ヘルベルト・フォン・カラヤン ディスコグラフィ」"philharmonic autocrat" (音楽の独裁者)の第4版が届いた。

f:id:anifmura:20160524164246j:plain

第1版は1993年の発行であったから、版を重ねて23年が経ていることになる。

細かいデータを丁寧に扱っておられるが、ハント氏は相当に高齢になっておられるはずだ。

というのは、カラヤンの最晩年の欧州公演(ベルリン、ザルツブルク、ロンドン、パリ、ウィーン公演など)は実際に可能な限り聴かれていたようで、プログラムを送っていただいたこともあったからだ。

第4版は全443ページで、編年体ディスコグラフィ」の001番は、1938年12月9日のベルリン国立歌劇場管弦楽団とのモーツァルト/歌劇「魔笛」序曲に始まり、最後の1989年4月23日のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのブルックナー交響曲第7番は889番となっている。

また、4版は価格の記載がなく、国内のCDショップ店頭に並ぶかどうかは判らないが、イギリスのアマゾンでは24.95ポンド(送料別)で購入することが可能のようだ。

 

ドレスデン国立歌劇場管弦楽団450周年記念CD

ドイツ・グラモフォン ( DGG 459 159-2 )  "450 JAHRE SÄCHSISCHE STAATSKAPELLE DRESDEN 1548-1998" にカラヤンの音源が入っていることを確認した。

f:id:anifmura:20160514103951j:plain

f:id:anifmura:20160514104031j:plain

カルロス・クライバー、フランツ・コンヴィチュニーカール・ベーム等蒼々たるメンバーの中に、カラヤンも1972年のザルツブルク音楽祭で共演したシューマン交響曲第4番の終楽章が収録されている。

1972年のザルツブルク音楽祭では、8月13日の「第8回オーケストラ・コンサート」にドレスデン国立歌劇場管弦楽団と出演している。

曲目はベラ・バルトーク/ピアノ協奏曲第3番(ケーザ・アンダ)とローベルト・シューマン交響曲第4番の2曲であった。

f:id:anifmura:20160514105102j:plain

【DG 447 666-2】FESTSPIEL DOKVMENTE

f:id:anifmura:20160514105247j:plain

ザルツブルク音楽祭」には、この1972年のほかにも、1965年と1976年にもドレスデン国立歌劇場管弦楽団と共演している。

また、1970年にEMIに収録した、ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲盤も忘れることの出来ない録音である。

 

録音データの更新

カラヤンのCD再発に当たって、それぞれの録音データを確認しておかないと新しいデータになっていたりして、旧来のものが更新されている場合がある。

そんな時は、「レコード芸術」誌の巻末『新譜一覧表』か、毎年1月号に付録として付く「レコード イヤー・ブック」が大変重宝する。

さて先月、3月23日にワーナー・クラシックスから再発されたEMI録音の「ハイドン交響曲第101番「時計」と第83番「牝鶏」がデータ更新されている。

f:id:anifmura:20160430084846j:plain

【WPCS 23224】

旧来のデータは、2曲で「1971年8月20日、23日 サンモリッツ・フランス教会」となっていたのだが、WPCS23224のデータでは交響曲第101番「時計」が8月23日、 第83番「牝鶏」の録音日が8月20日と分離して記載されている。

2曲が別々の日に1曲ずつ録音されていたことが判明した。

夏期のサンモリッツでの録音は、ザルツブルク音楽祭の中日を終えてから大取りの演奏会の前の、わずかな期間に行なわれていたもので小編成の楽曲が取り上げられた。

f:id:anifmura:20160430091015j:plain

f:id:anifmura:20160430091038j:plain

この2枚の写真は、サンモリッツのフランス教会での録音セッションの様子だが、1971年のハイドンのセッションではなく、翌72年のヴィヴァルディ/「四季」の時のものである。

 

R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40

カラヤンはR.シュトラウスの楽曲・オペラを好んで演奏したが、中でも交響詩英雄の生涯」作品40の演奏頻度は抜きん出ている。

生涯の演奏会記録(オペラ公演も含む3540回)からでも、合計72回を確認できる。

最初は1933年11月26日のウルム歌劇場管弦楽団との演奏である。

聴き応えがある曲だけに、海外公演でもよく取り上げられた。

上の極く短い映像は、1969年5月にプラハを訪れた際のリハーサル映像である。

テレモンディアルでの正規映像作品では、1985年2月に収録されたベルリン・フィル(レオン・シュピーラーのヴァイオリン・ソロ)のものが発売されている。

f:id:anifmura:20160421085920j:plain

ソニークラシカル SIBC8】