初出音源 リリース 予告
ICA Classics より初出音源となる2枚組CDの発売が予告されている。
【 ICAC 5142 】
曲目はチャイコフスキー/交響曲第4番(1955年5月1日)、ラヴェル/スペイン狂詩曲(1955年10月18日)、モーツァルト/交響曲第35番「ハフナー」・ピアノ協奏曲第23番(クララ・ハスキル)・交響曲第41番「ジュピター」(1956年2月6日)で、フィルハーモニア管弦楽団を指揮したロイヤル・フェスティバルホールでの録音である。
イギリス放送協会の収録で、この時代のフィルハーモニア管弦楽団とのライブ音源が、60年を経てCD化されるのは嬉しい限りである。
クララ・ハスキルとのモーツァルト/協奏曲第23番は大変珍しい録音になる。
1956年はモーツァルト「生誕200年」の記念年で、年頭よりカラヤンはハスキルと各地でモーツァルトを取り上げていたが、第23番の録音がロンドンで残されていたことになる。
10月19日のリリース予定で、発売が待たれる。
ウィーン直行便の再開
オーストリア航空は、昨年9月より運行を休止していた「成田~ウィーン線」を2018年5月16日より再開するとのニュースが飛び込んできた。
国土交通省への認可申請中とのことで、週5便(月・火・水・木・土曜日)が予定されているという。
https://twitter.com/Lufthansa_JP
ボーイング777-200型機の運行予定である。
ザルツブルク・アニフ村への訪問が遠のいていたので、この夏一番の朗報である。
「暗黙の了解」の例外
カラヤンがベルリン・フィルの第4代の常任指揮者であった期間、他の指揮者はベルリン・フィルを指揮して、ベートーヴェンとブラームスの交響曲を録音しないという「暗黙の了解」があった。
Kの韻を踏んで、"Kaiser - Karajan" と呼ばれ、(日本では「帝王カラヤン」の名を欲しいままにして)絶大な人気を博していた70年代以降は以降は言うまでもないが、60年代の初めにわずかな例外を指摘できるが、この「暗黙の了解」は守られ続けた。
反対にカラヤンがベルリン・フィル以外のオーケストラを指揮するとき、(これは主にウィーン・フィルに限られていたわけだが)ベートーヴェンとブラームスの交響曲は演奏しないとの「暗黙の了解」があった。
カラヤンの晩年におけるウィーン・フィルとの演奏会、レコーディングにおいてブルックナーやチャイコフスキー、シューマン、モーツァルト、シューベルト、ドヴォルザークの交響曲が取り上げられたのはこのためである。
しかし、これも1984年に例外がある。
この年はベルリン・フィルとの軋轢が生じていて、ザルツブルク聖霊降臨祭、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン国際音楽祭ではウィーン・フィルとブラームスの交響曲第1番が演奏された。
この写真は1984年6月11日、ザルツブルク聖霊降臨祭でウィーン・フィルとブラームスの交響曲第1番を指揮しているときのものである。
【公開リハーサル音源】 ワーグナー/ジークフリート牧歌
1988年3月27日にザルツブルク・イースター音楽祭後援会・会員向けに行なわれた公開リハーサルの音源、ワーグナー/ジークフリート牧歌を確認した。
この音源はオーストリア・第1ラジオで2014年7月に「カラヤン没後25年番組」として放送されたものである。
http://oe1.orf.at/programm/377251
通常の公開リハーサルでは、カラヤン自らマイクを持って客席の会員にわかりやすく、曲目を解説しつつリハーサルを行なうのだが、このジークフリート牧歌は一度も止めることなく全曲を通して演奏されている。
また、1987年4月12日には、この年の公開リハーサルが行なわれており、R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」のリハーサル音源が存在する。
この4枚の写真は、年次は判らないがイースター音楽祭での公開リハーサルのものである。
1988年のジークフリート牧歌が確認されたことで、カラヤンの生涯演奏会回数は3533回(幼少期のピアノ演奏会は除いて)となった。
【新刊】カール・レーブル 「僕は奇跡なんかじゃなかった」 音楽之友社
音楽之友社よりカール・レーブル著/関根裕子訳「ヘルベルト・フォン・カラヤン 僕は奇跡なんかじゃなかった-その伝説と実像-」【ISBN978-4-276-20379-2 C1073】が刊行された。
著者のカール・レーブルは1930年生まれで2014年にお亡くなりになっている。
原書は2014年にウィーンの Seifert Verlag より刊行されており、1978年に書かれた "Das Wunder KARAJAN" (「奇跡のカラヤン」)の新装版にあたる。
特に目新しい記述もなく新鮮みに欠けるのだが、カラヤンの誕生日を1908年4月6日としていることには驚かされる。
原書が手元になく、オリジナルがどう書かれているか確認できないが、これほどの有名人の生年月日を違えるのは、どのようにすればこのような結果になるか判らない。
この写真はカラヤン最後の写真として、89年7月に撮影された「仮面舞踏会」リハーサル合間のものである。
白い線の入ったトレーニングウェアである。