「暗黙の了解」の例外
カラヤンがベルリン・フィルの第4代の常任指揮者であった期間、他の指揮者はベルリン・フィルを指揮して、ベートーヴェンとブラームスの交響曲を録音しないという「暗黙の了解」があった。
Kの韻を踏んで、"Kaiser - Karajan" と呼ばれ、(日本では「帝王カラヤン」の名を欲しいままにして)絶大な人気を博していた70年代以降は以降は言うまでもないが、60年代の初めにわずかな例外を指摘できるが、この「暗黙の了解」は守られ続けた。
反対にカラヤンがベルリン・フィル以外のオーケストラを指揮するとき、(これは主にウィーン・フィルに限られていたわけだが)ベートーヴェンとブラームスの交響曲は演奏しないとの「暗黙の了解」があった。
カラヤンの晩年におけるウィーン・フィルとの演奏会、レコーディングにおいてブルックナーやチャイコフスキー、シューマン、モーツァルト、シューベルト、ドヴォルザークの交響曲が取り上げられたのはこのためである。
しかし、これも1984年に例外がある。
この年はベルリン・フィルとの軋轢が生じていて、ザルツブルク聖霊降臨祭、ザルツブルク音楽祭、ルツェルン国際音楽祭ではウィーン・フィルとブラームスの交響曲第1番が演奏された。
この写真は1984年6月11日、ザルツブルク聖霊降臨祭でウィーン・フィルとブラームスの交響曲第1番を指揮しているときのものである。