後援会限定・特別仕様CD盤
ザルツブルク・イースター音楽祭には、発足当時から登録制の後援会があった。
会員にはカラヤンの直筆サインの入ったレコード・セットなどが配られていたが、カラヤン没後も節目の年など、折々に特別仕様のCDが製作されていたようだ。
このCDはドイツ・グラモフォン仕様で、445 148-2という番号を持つが、一般のCDショップでは購入できない後援会会員向けのものである。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、レッラ・クベッリ(S)、ヘルガ・ミュラー=モリナーリ(A)、ヴィンスン・コール(T)、フランツ・グルントヘーバー(Bs)、ウィーン楽友協会合唱団によるものである。
これは1986年9月に、テレモンディアルによって収録され、ソニー・クラシカルで販売された映像作品から、特別にCD化されたもので、関係者のみに配布されたものである。
このほかにも、いくつかのCD盤が存在するようだ。
ザルツブルク空港
Pointing: Flughafen — Play 24 hours
現在、世界各地にライブ・カメラが設置されていて、リアルタイムで映像を見ることが出来る。
アニフ村には、まだライブ・カメラの設置はないようだが、ザルツブルク市内中心部には、いくつかのカメラがある。
アニフ村に一番近いところは、ザルツブルク空港になる。ちょうど市の中心からアニフ村への中間地点にあたる。 滑走路は長くないので大型機の離発着は出来ず、ボーディング・ブリッヂもなく、乗り降りする乗客はゲート口より駐機場所まで歩いてゆかなくてはならない。雨の日は傘を差して行かなくてはならない。
ライブ・カメラを覗いていると、その様子もよくわかる。
カラヤンもこの空港に専用の格納庫を持ち、ファルコン10で飛行を繰り返していた。
映像で駐機場・滑走路が雨で濡れていれば、アニフ村も降雨していて、カラヤンの墓石も濡れていることになる。
今まで何回かこの空港を利用したが、また降り立ってみたい空港である。
【新譜】R.シュトラウス/ウィーン・フィル
ご紹介が遅くなったが、今月初旬より「ザルツブルク音楽祭」のライブ音源・新譜がCDショップに並んでいる。
【C909 151B】
ORFEO D'OR の「フェスティヴァル・ドキュメント・シリーズ」で、1964年8月30日のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏会より、R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」と交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の2曲である。
ソリストはピエール・フルニエ(チェロ)とルドルフ・シュトレング(ヴィオラ)である。
同じソリストと曲目の組み合わせで、6月のウィーン・フィルの定期演奏会(6月20日、21日、22日)が予定されていたが、カラヤンとトラブルが生じて、フルニエが降りエマニュエル・ブラベッツが替わって演奏したという演奏会から、和解をした演奏会と歴史は伝えている。
解説書にお二人の写真がないので、ザルツブルク音楽祭のプログラムより転載することとする。
【ピエール・フルニエとルドルフ・シュトレング】
今後もライブ音源が多数CD化されることを望んでいる。
ゴールド・ジャケット
レコード時代の1970年~80年代、ドイツ・グラモフォンには「シルバー・ジャケット」という規定があった。
これは、発売前よりある程度売り上げが見込まれる、いわゆる『定番』になり得る録音盤に対して、ジャケットを銀色で飾るというものである。
カラヤンの場合は、1970年録音の「クリスマス協奏曲集」と翌年に発売された「白鳥の湖/眠りの森の美女・組曲」の2枚が、シルバー・ジャケットに該当する。
マルタ・アルゲリッチやカルロス・クライバーのレコードにも、それぞれシルバー・ジャケットがある。
ところが、1972年録音のヴェルディ/レクイエムの箱は、金地にタイトルとカラヤンの顔が深紅色で抜かれるというものであった。
更に国内盤(MG9650~1)は金色の縦帯が付いて発売された。
これは、シルバー・ジャケットの上のゴールド・ジャケットと考えていいだろう。
もちろん、この録音は『定番盤』として、永く聴かれたアルバムであった。
シルバー・ジャケットは廉価版になっても、シルバー地で飾られることがあったが、70年代の録音には、時を経ても聴き継がれる録音がいくつも存在する。
【イエス・キリスト教会で行なわれた、1972年1月のヴェルディ/レクイエムの録音セッション。 ミレッラ・フレーニ、クリスタ・ルートヴッヒ、カルロ・コッスッタ、ニコライ・ギャウロフの布陣に、合唱指揮はヘルムート・フロシャウアーである。】
越野栞 「ザルツブルク日記」
近代文藝社より、越野栞著「ザルツブルク日記」(ISBN4-7733-2688-3)と「続・ザルツブルク日記」(ISBN4-89039-223-8)の2冊が刊行されている。
著者の越野さんは、都立高校の教師をしておられ、夏休みの期間中を利用してザルツブルク音楽祭に参加された、詳細な日記である。
「正編」には1980年から(81年を除いて)89年までの9年間が収録されている。
成田空港出発のこと、乗り継ぎ便のこと、定宿のホテルでのこと、ゲトライデ・ガッセや旧市街地・新市街地を歩いたこと、カフェのこと、昼食のこと、行きつけの美容院のこと、お土産屋さんのこと、現地で出会う友達のこと、そしてなりより祝祭劇場などで行なわれたコンサートのこと、オペラのこと、盛りだくさんである。
もちろん、カラヤン指揮のオペラも「ばらの騎士」(83年と84年)「カルメン」(85年と86年)「ドン・ジョヴァンニ」(87年と88年)の詳しい記述がある。
オーケストラ・コンサートもカラヤンの演奏会を含めて、実に効率よく通っておられている。よくも貴重な入場券を集中的に入手出来たものかと驚く。
「続編」はカラヤン没後の1990年から96年までの7年間が収録されており、滞在期間が増えて、ますますの記述がふくらんでいる。
もちろん、アニフ教会に詣でる様子も記されている。
【最初に建てられた、木製十字架の墓標】
【花輪であふれるカラヤンのお墓・共に1989年7月30日撮影】
カラヤンが活躍した80年代とその後の1990年代の貴重な記録で、当時のオーストリアはまだシリングであったことを、懐かしく思い出した。