越野栞 「ザルツブルク日記」
近代文藝社より、越野栞著「ザルツブルク日記」(ISBN4-7733-2688-3)と「続・ザルツブルク日記」(ISBN4-89039-223-8)の2冊が刊行されている。
著者の越野さんは、都立高校の教師をしておられ、夏休みの期間中を利用してザルツブルク音楽祭に参加された、詳細な日記である。
「正編」には1980年から(81年を除いて)89年までの9年間が収録されている。
成田空港出発のこと、乗り継ぎ便のこと、定宿のホテルでのこと、ゲトライデ・ガッセや旧市街地・新市街地を歩いたこと、カフェのこと、昼食のこと、行きつけの美容院のこと、お土産屋さんのこと、現地で出会う友達のこと、そしてなりより祝祭劇場などで行なわれたコンサートのこと、オペラのこと、盛りだくさんである。
もちろん、カラヤン指揮のオペラも「ばらの騎士」(83年と84年)「カルメン」(85年と86年)「ドン・ジョヴァンニ」(87年と88年)の詳しい記述がある。
オーケストラ・コンサートもカラヤンの演奏会を含めて、実に効率よく通っておられている。よくも貴重な入場券を集中的に入手出来たものかと驚く。
「続編」はカラヤン没後の1990年から96年までの7年間が収録されており、滞在期間が増えて、ますますの記述がふくらんでいる。
もちろん、アニフ教会に詣でる様子も記されている。
【最初に建てられた、木製十字架の墓標】
【花輪であふれるカラヤンのお墓・共に1989年7月30日撮影】
カラヤンが活躍した80年代とその後の1990年代の貴重な記録で、当時のオーストリアはまだシリングであったことを、懐かしく思い出した。
ザルツブルクでのオペラ公演
カラヤンの「ザルツブルク音楽祭」でのデビューが1933年であることは、前回の記事でまとめた。
しかしその前、故郷ザルツブルクでオペラを指揮した記録がわずかであるが確認することが出来る。
1929年4月19日 祝祭劇場 モーツァルテウム音楽院管弦楽団
1929年6月27日 モーツァルテウム モーツァルテウム音楽院管弦楽団
ロルツィング/歌劇「刀鍛冶」
1930年6月 6日 祝祭劇場 モーツァルテウム音楽院管弦楽団
マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
R.シュトラウス/バレエ「ヨゼフの伝説」
1930年6月23日 州立劇場 ザルツブルク州立歌劇場管弦楽団
プッチーニ/歌劇「トスカ」
以上の4つの公演であるが、この時のいずれかの時のものと考えられる写真が2枚存在する。
写真裏面キャプションには「祝祭劇場にて」とあり、日付は「サロメ」か「カヴァレリア・ルスティカーナ」の日かの半分に絞られる。
上の写真では、2階席の聴衆は舞台上をのぞき込んでいる。 幕が上がって直後の瞬間であろうか? 「サロメ」ならフィナーレの瞬間なのであろうか?
カラヤンのすぐ背後の円柱型のものは、録音用のマイクロフォンなのだろうか?
だとすれば、どこかに音源が存在するのだろうか?
いろいろと想像をかきたてられる2枚の写真である。
ザルツブルク音楽祭・初登場
今年もザルツブルク音楽祭が開幕している。
Salzburger Festspiele – 18. Juli bis 30. August 2015
カラヤンの初登場は1933年で25歳の年であった。
戦後は公式に資料が残るのは1948年と1949年の年で、1957年以降は毎年の参加であった。
ただ1933年の初登場は、モーツァルテウム音楽院管弦楽団による、パウムガルトナー作曲の音楽劇「ファウスト」の付随音楽のみを指揮した事になっていて、プログラムをみると、カラヤンの名前の前にはもう一人の指揮者名があり、ダブル・キャストであったことが判る。さらに名前の表記も "Heribert von Karajan" になっている。
この年は、R.シュトラウスが「フィデリオ」、ワルターが「オルフェオとエウリディーチェ」「トリスタンとイゾルデ」と「魔笛」、クレメンス・クラウスが「ばらの騎士」「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」と「影のない女」を指揮しており、オーケストラ・コンサートではウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を R.シュトラウスとワルターが「モーツァルト・プログラム」を、さらにワルターはマーラー/交響曲第4番ほかとヴェルディ/「レクイエム」を、そしてクレンペラーがブルックナー/交響曲第8番などを指揮しているので、カラヤンは時間の許す限り、これら巨匠たちが指揮する演奏会に接していたと思われる。
ラデツキー行進曲
デジタル録音期に入ってすぐの1980年6月、カラヤンはベルリン・フィルとシュトラウス・ファミリーの「ワルツ・ポルカ・マーチ・序曲集」を3枚組で完成させた。
ボックスを飾ったのはダイヤモンドをちりばめた、ヴァイオリンの立ち姿であった。
収録された全23曲の並び順は次の通りである。
【410 022-2 第1集】
皇帝円舞曲 作品437
トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214
ワルツ「南国のバラ」作品388
喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
アンネン・ポルカ 作品117
ワルツ「酒・女・歌」作品333
ポルカ「狩り」作品373
【400 027-2 第2集】
ワルツ「天体の音楽」作品235(ヨーゼフ・シュトラウス)
常動曲 作品257
ワルツ「うわごと」作品212(ヨーゼフ・シュトラウス)
ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
喜歌劇「こうもり」よりカドリーユ 作品367
ワルツ「ウィーン気質」作品354
ナポレオン行進曲 作品156
【400 026-2 第3集】
ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
加速度円舞曲 作品234
ペルシャ行進曲 作品289
喜歌劇「こうもり」序曲
ポルカ「浮気心」作品319
ワルツ「芸術家の生涯」作品316
ポルカ「雷鳴と電光」作品324
録音はベルリンのフィルハーモニーで行なわれ、追加のセッションを9月と12月に持っている。
ここで注目されるのは、第2集の1曲目に「ラデツキー行進曲」が置かれていることである。
この曲目の配列決定に、カラヤン自身の意見が反映されたどうかは知らないが、最初にレコードに針を落としたときは、非常に驚いたことを記憶している。
「ラデツキー行進曲」が1曲目に置かれているレコードがほかにあるであろうか?
レコードの場合、A面の最後の曲、B面の最初の曲という感覚もあるので、配列については様々な可能性があったと思う。
CDで分売された時も、この配列のままであった。
収録曲順の並びやジャケット・デザインの最終決定に、カラヤンがどこまで関わったかについての資料が出てくることはないと思われるが、膨大な「録音史」の中でも、特筆されるアルバムである。
1979年普門館・ヴェルディ/「レクイエム」
1979年10月、新芸術家協会招聘によるカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の東京公演が杉並区にある普門館という巨大ホールで行なわれた。
全9公演の内、後半5公演は初来日のウィーン楽友協会合唱団との共演で合唱付楽曲が演奏された。
合唱付楽曲は10月24日と最終日の26日がともに、ヴェルディの「レクイエム」と発表され、なぜ同じ曲を2回やるのかと訝しく思われた。
せっかく、ウィーン楽友協会合唱団が来日するのだから、バッハの「ロ短調ミサ曲」やベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」でも演奏して欲しいところであった。
チケットは一般発売に先だって、前半と後半の4公演ずつが同一席で聴ける「セット券」となって販売された。
ここでは、10月24日の公演分が単独チケット発売のみの別扱いとされた。
この前売りチラシは2種類存在し、一般発売日の4月8日の日付け入りのものは、演奏会の日付け順に並んでいるものの、ソリストの名前が空白になっているという奇妙なものであった。
では何故、ヴェルディの「レクイエム」を2回行なったのかと推測すると、24日分を映像収録(テレビ中継)するために、別契約の交渉がなされていたのではないだろうか?
この公演の一般プレス発表が行なわれたのは、1月半ばで、前年の12月にはすでに詳細は決定されていて、映像収録の予定も当然検討されていたと考えられる。
実際には、どの日の演奏会も映像収録(テレビ中継)は行なわれなかったが、もし実現したとしたら、どんなにか良かったであろう。
【10月24日 ヴェルディ/「レクイエム」 フレー二、バルツァ、カラヤン、リマ、ギャウロフとウィーン楽友協会合唱団】