ギュンター・ブレースト・インタヴュー

ドイツ・グラモフォンのサイトにギュンター・ブレースト氏のインタヴューがアップされている。

 

 

カラヤンの1980年代のドイツ・グラモフォンにおける数々の録音を手がけた、豪腕プロデューサーである。

お元気な様子で、ご自身が手がけたレコードを手にとって語っておられる。

カラヤンと一緒に写っている写真を捜したところ、以下の3枚が見つかった。

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【「ばらの騎士」の完成プレゼンテーションにて】

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【「ドン・ジョヴァンニ」の完成プレゼンテーションにて】

カラヤン側近の一人で、「回想録」など当時の様子を出版してくれたらうれしいところだが。

ゴールド・ジャケット

レコード時代の1970年~80年代、ドイツ・グラモフォンには「シルバー・ジャケット」という規定があった。

これは、発売前よりある程度売り上げが見込まれる、いわゆる『定番』になり得る録音盤に対して、ジャケットを銀色で飾るというものである。

カラヤンの場合は、1970年録音の「クリスマス協奏曲集」と翌年に発売された「白鳥の湖/眠りの森の美女・組曲」の2枚が、シルバー・ジャケットに該当する。

マルタ・アルゲリッチカルロス・クライバーのレコードにも、それぞれシルバー・ジャケットがある。

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ところが、1972年録音のヴェルディ/レクイエムの箱は、金地にタイトルとカラヤンの顔が深紅色で抜かれるというものであった。

更に国内盤(MG9650~1)は金色の縦帯が付いて発売された。

これは、シルバー・ジャケットの上のゴールド・ジャケットと考えていいだろう。

もちろん、この録音は『定番盤』として、永く聴かれたアルバムであった。

シルバー・ジャケットは廉価版になっても、シルバー地で飾られることがあったが、70年代の録音には、時を経ても聴き継がれる録音がいくつも存在する。

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イエス・キリスト教会で行なわれた、1972年1月のヴェルディ/レクイエムの録音セッション。 ミレッラ・フレーニ、クリスタ・ルートヴッヒ、カルロ・コッスッタ、ニコライ・ギャウロフの布陣に、合唱指揮はヘルムート・フロシャウアーである。】

 

 

越野栞 「ザルツブルク日記」

近代文藝社より、越野栞著「ザルツブルク日記」(ISBN4-7733-2688-3)と「続・ザルツブルク日記」(ISBN4-89039-223-8)の2冊が刊行されている。

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著者の越野さんは、都立高校の教師をしておられ、夏休みの期間中を利用してザルツブルク音楽祭に参加された、詳細な日記である。

「正編」には1980年から(81年を除いて)89年までの9年間が収録されている。

成田空港出発のこと、乗り継ぎ便のこと、定宿のホテルでのこと、ゲトライデ・ガッセや旧市街地・新市街地を歩いたこと、カフェのこと、昼食のこと、行きつけの美容院のこと、お土産屋さんのこと、現地で出会う友達のこと、そしてなりより祝祭劇場などで行なわれたコンサートのこと、オペラのこと、盛りだくさんである。

もちろん、カラヤン指揮のオペラも「ばらの騎士」(83年と84年)「カルメン」(85年と86年)「ドン・ジョヴァンニ」(87年と88年)の詳しい記述がある。

オーケストラ・コンサートもカラヤンの演奏会を含めて、実に効率よく通っておられている。よくも貴重な入場券を集中的に入手出来たものかと驚く。

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「続編」はカラヤン没後の1990年から96年までの7年間が収録されており、滞在期間が増えて、ますますの記述がふくらんでいる。

もちろん、アニフ教会に詣でる様子も記されている。

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【最初に建てられた、木製十字架の墓標】

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【花輪であふれるカラヤンのお墓・共に1989年7月30日撮影】

カラヤンが活躍した80年代とその後の1990年代の貴重な記録で、当時のオーストリアはまだシリングであったことを、懐かしく思い出した。

 

フィルハーモニー50年

1963年10月に竣工したベルリンのフィルハーモニーは半世紀もの歴史を刻んだ。

 

このドキュメンタリー映像はドイツで制作されたもので、国内でも放送されたようだ。

10月15日の11時から行なわれた「開所式典」における、カラヤン指揮の「レオノーレ」序曲第3番の冒頭映像が含まれることが注目される。

40秒ほどの映像で、当時のニュース映像として使われたものであろう。

また、1960年9月に行なわれた「定礎式」でのカラヤンのスピーチも見ることが出来る。

「レオノーレ」3番の映像は始めて見るもので、今後このような映像が発掘されることを願っている。

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【1963年10月15日 開所式典のプログラム】

ザルツブルクでのオペラ公演

カラヤンの「ザルツブルク音楽祭」でのデビューが1933年であることは、前回の記事でまとめた。

しかしその前、故郷ザルツブルクでオペラを指揮した記録がわずかであるが確認することが出来る。

1929年4月19日 祝祭劇場 モーツァルテウム音楽院管弦楽団

           R.シュトラウス/楽劇「サロメ

1929年6月27日 モーツァルテウム モーツァルテウム音楽院管弦楽団

           ロルツィング/歌劇「刀鍛冶」

1930年6月 6日 祝祭劇場 モーツァルテウム音楽院管弦楽団

           マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」

           R.シュトラウス/バレエ「ヨゼフの伝説」

1930年6月23日 州立劇場 ザルツブルク州立歌劇場管弦楽団

           プッチーニ/歌劇「トスカ」

以上の4つの公演であるが、この時のいずれかの時のものと考えられる写真が2枚存在する。

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写真裏面キャプションには「祝祭劇場にて」とあり、日付は「サロメ」か「カヴァレリア・ルスティカーナ」の日かの半分に絞られる。

上の写真では、2階席の聴衆は舞台上をのぞき込んでいる。 幕が上がって直後の瞬間であろうか? 「サロメ」ならフィナーレの瞬間なのであろうか?

カラヤンのすぐ背後の円柱型のものは、録音用のマイクロフォンなのだろうか?

だとすれば、どこかに音源が存在するのだろうか?

いろいろと想像をかきたてられる2枚の写真である。 

ザルツブルク音楽祭・初登場

今年もザルツブルク音楽祭が開幕している。

Salzburger Festspiele – 18. Juli bis 30. August 2015

カラヤンの初登場は1933年で25歳の年であった。

戦後は公式に資料が残るのは1948年と1949年の年で、1957年以降は毎年の参加であった。

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ただ1933年の初登場は、モーツァルテウム音楽院管弦楽団による、パウムガルトナー作曲の音楽劇「ファウスト」の付随音楽のみを指揮した事になっていて、プログラムをみると、カラヤンの名前の前にはもう一人の指揮者名があり、ダブル・キャストであったことが判る。さらに名前の表記も "Heribert von Karajan" になっている。

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この年は、R.シュトラウスが「フィデリオ」、ワルターが「オルフェオとエウリディーチェ」「トリスタンとイゾルデ」と「魔笛」、クレメンス・クラウスが「ばらの騎士」「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」と「影のない女」を指揮しており、オーケストラ・コンサートではウィーン・フィルハーモニー管弦楽団R.シュトラウスワルターが「モーツァルト・プログラム」を、さらにワルターマーラー交響曲第4番ほかとヴェルディ/「レクイエム」を、そしてクレンペラーブルックナー交響曲第8番などを指揮しているので、カラヤンは時間の許す限り、これら巨匠たちが指揮する演奏会に接していたと思われる。

 

 

ラデツキー行進曲

デジタル録音期に入ってすぐの1980年6月、カラヤンベルリン・フィルシュトラウス・ファミリーの「ワルツ・ポルカ・マーチ・序曲集」を3枚組で完成させた。

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ボックスを飾ったのはダイヤモンドをちりばめた、ヴァイオリンの立ち姿であった。

収録された全23曲の並び順は次の通りである。

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【410 022-2 第1集】

皇帝円舞曲 作品437

トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214

ワルツ「南国のバラ」作品388

喜歌劇「ジプシー男爵」序曲

アンネン・ポルカ 作品117

ワルツ「酒・女・歌」作品333

ポルカ「狩り」作品373

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【400 027-2  第2集】

ラデツキー行進曲 作品228(J.シュトラウス Ⅰ世)

ワルツ「天体の音楽」作品235(ヨーゼフ・シュトラウス

常動曲 作品257

ワルツ「うわごと」作品212(ヨーゼフ・シュトラウス

ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325

喜歌劇「こうもり」よりカドリーユ 作品367

ワルツ「ウィーン気質」作品354

ナポレオン行進曲 作品156

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【400 026-2  第3集】

ワルツ「美しく青きドナウ」作品314

ポルカハンガリー万歳」作品332

加速度円舞曲 作品234

ペルシャ行進曲 作品289

喜歌劇「こうもり」序曲

ポルカ「浮気心」作品319

ワルツ「芸術家の生涯」作品316

ポルカ「雷鳴と電光」作品324

録音はベルリンのフィルハーモニーで行なわれ、追加のセッションを9月と12月に持っている。

ここで注目されるのは、第2集の1曲目に「ラデツキー行進曲」が置かれていることである。

この曲目の配列決定に、カラヤン自身の意見が反映されたどうかは知らないが、最初にレコードに針を落としたときは、非常に驚いたことを記憶している。

ラデツキー行進曲」が1曲目に置かれているレコードがほかにあるであろうか?

レコードの場合、A面の最後の曲、B面の最初の曲という感覚もあるので、配列については様々な可能性があったと思う。

CDで分売された時も、この配列のままであった。

収録曲順の並びやジャケット・デザインの最終決定に、カラヤンがどこまで関わったかについての資料が出てくることはないと思われるが、膨大な「録音史」の中でも、特筆されるアルバムである。

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